プロデューサーの伊藤孝です。
昨日8月9日は長崎の「原爆の日」だった。今日はダンスやアート以外のことを語ることを許してほしい。
8月、今年は日本の敗戦後65年という節目だからだろうか、テレビでは例年以上に多くの戦争にまつわるドキュメンタリー番組やドラマが放映されている。私はダンスや展覧会の企画を進めていく一方で、少年時代に疎開地から広島への原爆投下の閃光を目撃した者として、そうした番組やニュースに無関心ではいられない。そして10年か15年か早く生まれていたら、自分も戦場に行き人に銃を向けていたかも知れないのだ。そう想像するにつけ、あの時代に起きたことが他人事とは思えなくなってくる。
そうしたニュースや番組を見る中で大きな衝撃を受けたことがある。それは核兵器の廃絶を唱えながらも「核抑止力は我が国にとって引き続き必要」と語った広島での記念式典後の総理大臣の発言だった。65年もの間苦しみぬいてきた被爆者の方々にとっても、平和を願って生きている私たちのとっても、現実主義者とはいえあまりにも配慮のない言葉である。被爆国の首長が言ってはいけない言葉ではないだろうか。長崎、広島を訪れ被爆者の話を聞いて核廃絶への決意を固めたという国連事務総長潘基文氏の真摯な姿勢に比して、現実を変えていこうとする理念を欠いた発言だと思わざるを得ない。
私たちダンスやアートに携わる者たちには、現実世界が酷ければ酷いほど過去の記憶を風化させることなく将来へ向けて希望の兆しを提示していく役割がよりいっそう強く求められている。そう考える時、こうした言葉の一つ一つに敏感であることが必要だと改めて思う。
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