昨日の12月15日土曜日、2階のギャラリー【ガーデン】で、渡辺一枝さんのトークの会「福島の話を聞こう!」の4回目が開かれました。
今回来ていただいたゲストは、福島原発1号機から4号機がある大熊町から長野県白馬町に移り住んでいる木村紀夫さん。津波のため父親の王太朗(わたろう)さんと妻の深雪(みゆき)さんを亡くし、次女の汐凪(ゆうな)ちゃんが今もって行方不明という木村さんは、危機一髪助かった長女の小学校6年生の舞雪(まゆ)ちゃんと来場、想像を絶する辛く悲しい記憶を言葉をかみしめながら話してくださったのでした。
地震の後働いていた養豚場の子豚たちの救出に追われている間に、家が津波に襲われ家族3人を失った方です。木村さんは、救えなかった家族のことを悔いる気持ちを今もなお抱き続けながら、住むことがかなわなくなった町を離れ、残された舞雪ちゃんと2人で生きていかなければならなくなったのです。熊野町地区一帯は原発の爆発事故のため、捜索作業は大幅に遅れ、父親・王太朗さんの遺体が見つかったのは4月末、妻・深雪さんの遺体が自宅から50キロも離れた海上で見つかったのは6月のことでした。そして今なお行方不明のままの汐凪ちゃん、原発事故がなければ、もっと早く捜索が出来ていれば見つけることが出来たかも知れない・・・木村さんのくやしい想いは晴れることはないのです。
放射能被害への恐れと被災地の方々の過酷な体験が伝えられながら、総選挙の結果を見ても明確な形で「脱原発」に踏み切れずにいる日本です。放射能禍にさらされながらも、東京電力への遠慮がいまなお残っているという唖然とした状況も伝えられる中、木村さんのお話に熱心に耳を傾けていた来場者の中からも、どう考えどう行動していくべきかなど、さまざまな意見が飛び出しました。中でもかつて沈黙していて戦争を防ぎきれなかったという歴史への反省から、「今こそ一人ひとりが勇気をもって声をあげるべき時だ」と語ったノンフィクション作家・澤地久枝さんの発言には大きな共感の拍手が起きました。
一緒に来た舞雪ちゃんは、お父さんが撮った妹の汐凪ちゃんの写真集などの販売係、お父さんを一生懸命支えているその笑顔は会場の空気を和やかなものにしていました。お父さんが汐凪ちゃんの名前をつけた足長小父さん基金のために、舞雪ちゃんが描いた絵を紹介しましょう。
今も被災地で支援活動をし続けている渡辺一枝さんのトークの会「福島の話を聞こう!」、5回目は来年3月4日(月)に予定しています。 (記:伊藤孝)