昨日から2Fギャラリー【ガーデン】で、在日コリアンのフォトグラファー裵昭(ペソ)さんの写真展が始まっています。題して「舞踊家・金順子慰霊の旅」。

裵さんは、在日コリアン2世で日本の植民地支配下で幾多の受難をしてきた朝鮮・韓国人の姿と歴史を伝える写真を撮り続けてきたフォトジャーナリスト。今回の写真展は同じく在日2世の伝統舞踊家・金順子(キム・スンジャ)さんが、日本の植民地支配下で過酷な体験をしてきた1世たちの縁の地を訪ねて、慰霊の舞(サルプリ)を踊る軌跡を追った写真を軸に、これまで裵さんが撮り続けてきた多くの記録写真が展示されています。

関東大震災時の朝鮮人虐殺から炭鉱やダムなどへの強制連行や軍隊への徴用、従軍慰安婦などへと至る過酷な歴史が、ひしひしと伝わってくる展覧会です。

初日の昨日には戦時中、日本軍の捕虜監視員としてタイの泰麺鉄道の建設現場に派遣され、映画「戦場に架ける橋」の舞台となった収容所で捕虜虐待の罪に問われた元BC級戦犯の李鶴来(イ・ハンネ)さんが駆けつけ、ご自分の裁判闘争の姿を追い続けてきた裵さんの写真に感無量の面持ちで見入っていました。

戦争中、多くの朝鮮人が軍属として戦場に送られていきましたが、李さんは軍の命令でやったことが罪に問われ、オーストラリアの軍事法廷で死刑の判決を受けましたが、その後事実誤認が判明して減刑されて巣鴨プリズンに送られ、そこで11年間も獄中に拘禁されるという体験をしてきた方です。しかし、日本のために働いて戦犯になり、日本人として獄中に拘禁されたのに、出所後はもはや日本人ではないとして、一切の補償や援護から排除されてきました。その理不尽な扱いと同じ罪で刑死した同胞のために法に訴え続けてきた李さんですが、日本政府は今なおまともに応答することなく門前払いをし続けているのです。

今や李さんは齢90才、自ら体験したことをたんたんと語る李さんでしたが、その静かな語り口には70年にわたる熱い想いがこめられており、ずしりと響いてくるものでした。
「私と同じ罪で刑死した同胞は14人いました。私も死刑囚でしたから、彼らの無念はよく分かります。亡くなった彼らの名誉回復を図り、その魂を癒すことが、残された私の使命です。それまで死ぬわけにはいかないのです。」

日本と韓国の歴史に思いを致すことの出来る裵昭さんの写真展です。写真展は28日(土)まで。会期中の27日(金)の午後7時半からは、地下スタジオで金順子さんらの舞や李政美さんの歌などによる公演(無料)も開かれます。皆様のお越しをお待ちしています。