昨夜、安保関連法案が大詰めとなった国会前に行ってきました。法案と政権の動きに疑問を感じ異議を唱える人たちが三々五々にやってきて、もの凄い熱気がうずまいており、主催者の発表では4万人を越える人が集まったとのことでした。
法案は今日未明、憲法違反の声の高まりを無視して強行採決されてしまいまいましたが、昨今の反対運動の高まりからは新たな息吹が感じられるものがありました。
とりわけ大学生たちが立ち上げた「SEALDs(シールズ)」の女子学生がスピーチで「いまここに集まっているのは単なる群衆ではありません。一人ひとりがさまざまな人生を持っている人達が考え今の政治の動きは納得できないとの思いを抱いて集まってきているのです」と語っていたのが、新鮮な言葉として響いてきました。確かに国会前に集まって人を見渡すと、かつての運動にありがちだった集団が中心ではなく、さまざまな世代の人が個々に集まっていることが強く感じられました。個人個人がしっかりと考えて行動する、これこそ個人の意志の尊重をうたっている憲法の精神そのもの発露であると言えるでしょう。
私事になりますが、私が生まれた時は日中戦争が激しさを増した時代、戦争が「非常時」の出来事というよりも、戦争というものはいつも間近にあるもの「常時」のものと思って少年時代を過ごしてきました。そして敗戦後、学校で配られた『あたらしい憲法のはなし』という小冊子を見て、「ああ、戦争ってやめられるものなのだ」と新鮮な驚きを抱いたことが思い出されます。しかし現在強行採決された法案は、「戦争放棄」を高らかに宣言した日本国憲法9条がいま、骨抜きにされ海外での武力行使に道を開くもの、とても許容するわけにはいきません。
「あたらしい憲法のはなし」の挿絵
多数を頼んだ参議院本会議の未明の採決を前に見たテレビ番組で、日本総合研究所理事長の寺島実郎氏が今度の安保法案をめぐる世の中の動きから「今まで憲法などに関心がなかった人達までが強い問題意識を持って考え始めたことの意味が大きい」と語っていたのが、印象的でした。
法案は通ってしまったけれど、これからが始まりとの声も多く聞かれ、「絶望しているわけにはいかない」そう強く思わせられた1日でした。(記:伊藤孝)